2017.12.27 15:57
LOVE PETの輪インタビュー 第6回 槙原寛己さん
読売ジャイアンツの投手として、1990年代に活躍。1994年には、史上15人目の完全試合を達成した名ピッチャー、槙原寛己(まきはら ひろみ)さん。2001年に現役を引退し、現在はテレビ・ラジオの解説者、スポーツ新聞の評論家として野球に接する日々を送っていらっしゃいます。「ネコ派だった」という槙原さんですが、3年前にプードルのクロエちゃんに出会ってからは、すっかりイヌ派に変わってしまったそうです。
――子どものころ、動物は飼われていましたか?
生まれたときからネコと一緒でしたが、高校を卒業して読売ジャイアンツに入団してからは寮生活だったので、動物と無縁になってしまいました。
――寮を出られてからペットを飼ったことは?
新婚のころ、ヨークシャテリアを飼ったことがあったんです。そのころはネコ派だったし、家にもあまりいないし、犬好きの妻の愛犬という感じで、僕はぜんぜん触れ合うことはありませんでした。しつけがちゃんとできていなかったこともあり、家の中を汚されるのがイヤで、あまり良い印象を持っていなかったんです。子どもが生まれたのを機に、ヨークシャテリアを飼っていた妻の実家に預けることになり、そこからはずっと飼っていませんでした。
――プードルのクロエちゃんを飼うきっかけを教えてください。
子どもたちも大学に入り手がかからなくなったし、妻も寂しいと思って、「ペットを飼おう」ということになったんです。妻も娘も僕がネコ派だということを知っているので、まさか犬を連れてくるとは思いませんでした(笑)。彼女たちの「実際に見たら、ぜったいにOKしてくれるはず」という策略にまんまとはまりました。今では犬の方がかわいいと思えるし、昔は犬を飼っている家の臭いもイヤだったけど、最近は悪くないって思えます(笑)。
――なぜ、プードルという犬種にしたのでしょう。
妻の希望です。プードルは毛が抜けないのがいいですよね。でも身体が小さくてきゃしゃなので、ソファから降りただけで足を痛めたりするのが心配なんです。気になるとすぐに病院で診てもらっているのですが、ちょっと過保護気味です(笑)。
――私たちの「セーブペットプロジェクト」は、動物病院で処方される「フロントラインⓇ」などのおくすりの売り上げの一部をマイクロチップ普及支援や新しい家族を探すための寄付に充てている活動なんです。
なるほど。自分の愛犬の治療をするだけで、貢献できるっていいですね。愛犬家は、ほかの犬にも幸せになってほしいと思っているはずですから。最近は保護犬の話題もよく聞ききますが、いろんな状況もあって手放すのだろうけれど、飼うなら責任をもってほしいとは思いますね。
――クロエちゃんは、どんな存在ですか?
子どもの代わりというよりは、孫のような感覚ですね。子育てとはちょっと違う、孫を育てる疑似体験のような感じです。僕が仕事で長く家を離れていると、会いたくなって動画を送ってもらったりするのですが、子どもが小さかったころには動画を送るなんてできない時代でした。動画を見ると、すごく癒されるんですよ。現役時代、不調のときにこんな動画に癒されていたら違っていたかも、なんて思ったりもします(笑)。
――ネコ派の槙原さんがイヌ派になってしまった、犬の魅力とは?
犬とネコは、ぜんぜん性格が違うじゃないですか。ネコは遊んでほしいときは寄ってくるけど、それ以外のときは「放っておいて」ってスタンス。でも犬は、いつでも来てくれるから、かわいいんですよ。傍にいないと心配になるくらい。そこが違いますよね。
――犬を飼うようになって、生活は変わりましたか。
元々会話のある夫婦だったけど、共通の話題も増えるし、前よりも口数が増えました。散歩にも一緒に行ったりして。でも反面、以前は温泉など旅行によくいっていたのですが、行けなくなりましたね。置いていくのがかわいそうで、旅行や外食が減りました。
でも、クロエが来てから、いいことばかりです。子供たちもかわいがってるし、家族の和みになっていますね。
――もう1頭、飼いたくなりませんか?
多分、もう飼わないと思います。ペットロスを考えると、クロエだけでいいかな。60代になったら考えてみます。実は、実家の母が飼い犬が亡くなったあと、ペットロスになってしまって。10年以上一緒にいた犬だったから……。うちは3年だけど、今ならその気持ち、わかります。犬も年をとってくると介護が必要になるけれど、最後まで責任を持って飼いたいと思います。
――槙原さん、クロエちゃん、今日はありがとうございました!